イチローの存在が本当に嫌いだ
イチローが嫌いだっていうビビットなCM。
アスリートが感じるイチローという偉大なる存在によるプレッシャーを表現したものだ。
実は私もずっとイチローに対してはこのように思っていた。
無論私はアスリートでなければイチローに匹敵するような努力を1日でもした事は無い。
人間として本当に尊敬するし偉大な人物である事は誰の目にも明らかだろう。
しかし嫌いだ。
それはイチロー自体が嫌いなのではなく、イチローという存在が及ぼす影響が嫌いだという事なのだ。
イチローは確かに努力の人だ。
野球選手として限界だと言われるような年齢でもまだなお結果を残し続けるのは、想像を絶する努力の賜物だろう。
しかしだ。
さらに想像を絶する所にいる存在がいるのだ。
いる筈なのだ。
イチローは努力をした。
本人は否定するかもしれないが、確かな才能もあった。
類まれなる才能と努力が合致した結果があの記録であり今の地位なのだ。
しかしそれは才能があって結果が伴った事で表に出て来た努力だという事を考えなければならない。
それが出来ないクズが多すぎる。
きっとテレビを見ながらこう思ってる人間はいくらでもいるだろう。
「俺の方が努力をした」
そう。
イチローよりも努力をしたにも関わらず、結果が伴わなかった、才能の無かった人間はいくらでもいるという事だ。
「結果が出なかったのは努力が足りなかったからだ」
こんなクズのような意見を述べる輩が未だに多数いる。
あまりにも馬鹿げていて反吐がでるのだが、仕方ないのでここでぶった切ってやろう。
努力だけで結果が出るなら素手で空を飛んでみろクズが!
努力は才能を磨くために行う事であって、才能を得るものではない。
こんな簡単な事も分からずに精神論を語るクズ共のせいで、どれだけの人間が増幅した挫折を味わった事か。
イチローと同じだけ努力をすればイチローと同じ結果が出ると本気で思っているのか。
イチローよりも才能が無いが、イチローよりも努力をすればイチローを超えられると本気で思っているのか。
馬鹿も大概にしろ。
イチローという至極の人間のすごい所は、少なくとも野球の才能がずば抜けており、そこに本人も周りも気付き、それを磨きに磨く努力を常に最高レベルで行ってきたところにある。
しかしそれを理解していない馬鹿どもが勘違いをして、精神論を振りかざす材料に使われてしまっている現状。
この周囲の存在が嫌いだ。
嫌いであり、害悪だ。
即刻滅びよ。
才能は隠れている。
しかも厄介な事に天は平等にそれを与えてはいない。
野球の才能がずば抜けているイチローだが、器用な彼を見ていると、他の部分でもたくさんの才能が隠れていそうだ。
他人を同じと考えるな。
他人を自分と当てはめるな。
だからこそ自分を理解して探る努力は惜しんではいけない。
野球では芽が出なかったかもしれないが、演技力は輝くかもしれない。
企画の発想では抜きんでるものがあるかもしれない。
手先は器用かもしれない。
ひょっとしたら主だった才能は何もないかもしれない。
それを探るのだ。
精神論を信じて同じことをやり続けて時を浪費するよりも、自分を見極めて別の事をやるべきなのだ。
天は残酷だから、主だった才能が無い人間だっていくらでもいる。
そこに気付くべきなのだ。
才能がないのなら才能のある人物と組む。
能力が無いのなら能力のある人物と組む。
誰かと組むコミュ力が無いのなら、そこで初めて努力でカバーする。
その辺の輩よりは会話出来るかもしれない。
そこに気付くべきなのだ。